ステップアップ?!
16日に現実社会に戻ります。
多発性硬化症2回目の再発により病室で大人しくしとりました。多分。
今回の病室は大部屋でしたので、同室の方と生活を一緒にしてみて、自分は病気らしいけど、まだまだ恵まれた条件で病気を見つけてもらって治療、退院となるんだと改めて思いましたわ。
夜中に痛みを訴える方。手術後の苛立ちを医師にぶつけてしまう方。訴えを聞きながら処置を続ける看護士。そして、その苦しみを理解して励ます家族。
自分中心の生活を反省する素敵な時間を貰ったのだと考えるようにします。
今回の再発により、再発予防策が変わる事になりそうです。隔日の皮下注射から解放され、毎日の経口投薬 ジレニアに変更予定との事。
皮下注射の初全量投与の時喰らった強烈な副作用の記憶があるから今回からのクスリは身体にどんな刺激を与えてくれるのか、不安というか楽しみというか期待しております。
不安があるとすれば、、、チャリ通勤出来るかどうかw入院前に通勤カレラをメンテに出した都合で乗れず、実質3週間振りの実走になるわけですからね。前回の入院では退院から会社復帰まで助走時間があったから何とかなった気がしたけど、今回は助走時間が短いのよね。
まあ、のんびり暢気に行きますよ。
そんなわけで、今月の走行距離 0km(2/13日時点)
当たり前。
2016年1月走行記録
またまた気が付けば2月w
気にしない気にしない
年明け1月のまとめ
タイマー時間
58時間57分
走行時間
43時間34分
走行距離
1144.7km
獲得標高
10342m
TSS
2331
ツーキニスト兼チャリストとしては、まあまあのラインかな。
往復40km×20日=800km
週末両日で200km×5週=1000km
としたら1800kmだから、達成率としたら、、、
うっ!63%か。
前言撤回します。
7kgの塊の威力
沖縄終わってから、何やかんやと飲んで遊んで現在に至る。
真面目なサイクルレーサー達は、メリハリを付けてシーズンオフと言っているらしいですが、自分は会社への通勤メインのツーキニストなので、シーズンオフは無い。入院中だけがシーズンオフと言えるかもしれませね
沖縄終わってからツーキニストをサボりまくって気が付けば7kgUP
自転車の進まない事限りなく、、、そして、ペダリングを追求する為に無駄を削ぎ落とされたシャープなサドルは筋肉が落ちて柔らかくなったお尻にジリジリと突き刺さる。
腹回りの7kgはズシリと重く腰にくる。
今は辛いけど、そのうち慣れて普通に走れるようになるだろう。慣れると思うから降ろすつもりはさらさら無い
う〜ん
これで裏諏訪上がったらどれ位で上がるんだろう??
面白そうだ♫
よし、今度やってみよう。
ツールドオキナワ 100km オーバー40
ツールド沖縄に参戦するようになって初めて100kmのオーバー40というカテゴリーにエントリー。展開次第とはいえ、どこまで走らせてもらえるかなぁ。
ホテルからスタート地点の「奥」まで送ってもらいサッサと準備したつもりだけど、何度も同じ事を確認してしまう。
つまり、超緊張状態のピリピリモード。周りにいたチームメイトの皆様すいませんでした。
スタート予定時間から25分遅れて集団の中段からローリングスタート。坂を登りきる前に先頭が見える範囲に入れればOKと思っていたので、焦る必要は皆無。ゆっくりと様子見。海岸沿いに出てもそれほどスピードも上がらなかったので、与那から始まるであろう攻防に備えて補給。
与那から普久川ダムまでの登りはマイペースで登る。
あれ?もしかして、自分は先頭に出ちゃった??
KOMポイント、給水ポイントを過ぎて高江までのアップダウンを進んでいく間に210、140クラスから溢れた選手が混じってきてかなりの集団になった気がする。
ただ、先頭交代に加わってくれるのは自分を含めた100km組数名のみで我々100km先頭集団の順位争いを後方で静観していてくれた。
100kmの先頭集団メンバーのゼッケンを確認すると皆さん前年20位以内でゴールしている方々ばかり((((;゚Д゚)))))))
そこに自分ひとりは2284とバカでかいゼッケンナンバー
完全に場違いですな(笑)
場違いを証明するかのように、スタートして60km過ぎ左太腿が攣りそうな信号。どうにかして誤魔化そうと意識を太腿に意識をし過ぎて、今まで慎重にインナーに落としていたのにラフに扱ってフロントギアをシフトチェンジ。
チェーンが外れてしまい止まる羽目に。速攻で戻して、先に行ってしまった集団を追い、幸いにも集団復帰成功したまでは良かったが、もう脚はいつ完全停止してもおかしくない状態。
そんな状態になりながら山場となる羽地ダム登りへ突入。
ダンシングに入った途端、両足同時に攣った。もう悲鳴を上げることすら出来ず悶絶しながらストップして集団から離れて順位争いから脱落。
レース終了の瞬間。
でも、ゴールは10km先。何より観戦に来ている仲間がいる場所は目と鼻の先。集団に残っている姿を見せる事は出来なくなったわけだが、諦めた姿だけは晒したくなかった。
トンネルと共に見えて来た仲間のみんな。
あの時出来る全力で、みんなの前を通り過ぎて最終関門の川上を通過。
残り6km。国道58号を単騎で頑張って脚を回しているけど、サッパリスピードが乗らない。残り距離の看板だけを支えにして何とか堪えて3時間15分の10位でゴール。
何をするわけでもなく集団に混じってしまい、勝負する前の顔合わせの段階で実力通りの力負けをして、只々尻尾を巻いて逃げ出すという納得するとかしないとかの問題以前の2015年の最終レース ツールドオキナワ でした。
今から来年の事を考えても仕方が無いと自分は思っているので、いつものコースを今年より少しだけ踏み込みながら、来年のエントリー時期になるまで考えます。
2015 ツール・ド・沖縄 100km オーバー40
トップから遅れる事6分30秒ゴールの10位で完走。
ゴールタイム 3時間15分。
なんか、全てにおいて中途半端な結果と内容のレースをしてしまったと思います。
覚えている範囲で 後程書こうとは思ってはいますが、今は結果と現在の気持ちを少しだけ書き残しておきます。
2015 SDA王滝100km
一週間過ぎてしまいましたね。
なのに、報告だけ。
記録 5時間37分
総合順位 23位
完走はさせてもらえましたが、走れる身体に、負荷に耐えられる身体に全くなっていないままに大会に出た事が全ての原因です。
さすがにかなり悔しです。
8月19日
朝練するつもりはなかったのに5時に起きてしまった。だらだらと飯食っても6時。
暇なんで、漕ぎ出す事に。
グリーンライン、花貫までは通常ルート そこから広域農道使って小山ダムへ向い、記憶だけを頼りに県道111を進む。
通った事ある様な 勘違いのような似たような風景。人に聞きたくても。。。人がいない山の中。携帯は当然のように圏外。たまに出てくる看板だけを見逃さずに確認しながら、ようやく勝手知ったる道に出た。
片貝 滝川を抜け、国道349に到着。ジェラートを楽しみながらガーミンを確認
走行距離98km 獲得標高1960m この時11時20分。
でに更に獲得標高を上げるルートはあるが、今回は病院に行く都合上、最短の国道349を突っ切るルートを流すことを選択。
12時ジャストに帰宅して本日の走行終了
走行距離 120km
獲得標高 2040m
平均移動速度 27.4km/h
帰宅後、多発性硬化症の注射を処方して貰うために病院に行き本日終了。